応援するNPO

NPO法人 抱樸(ほうぼく)

抱樸とは、「個別型包括的支援」を目指す北九州市のNPO法人。
制度の縦割りの中では捉えきれない個人の複合的な問題を、個人 の周囲も含めたトータルなケアを継続して施すことで解決する。
これまでの32年間の活動で、家のない3400人に部屋を提供し、 炊き出しで14万個の弁当を配るなどの実績があり、現在27事業 の包括的な支援を行っている。

抱僕の意味として、代表の奥田知志牧師は次のように説明している。

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「抱樸」とは「原木をそのまま抱きとめる」という意味である。
抱樸は性急に答えを求めず、その答えがいずれ出ることを信じて待 つこと。さらに抱樸するということは、お互いが原木・荒木である 故に、少々扱いにくく、とげとげしいことを前提する。
「絆は傷を 含む」元来社会とは赤の他人同士が誰かのために健全に傷つく仕組 みであり、傷の再分配構造だと考える。抱樸とは、出会いにおける 傷を必然とし、驚かず、いや、それを相互豊穣のモメントとするこ とである。

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「あ、ごめんね。びっくりさせたね」抱樸の人たちは、夜中道に 横たわるホームレスに毛布をかけながら優しく声をかける。
ホームレスの人たちをアパートに住まわせ、仕事をつくり、人と の交流をつくる。
この人たちの活動のおかげで、北九州市のホーム レスの数は確実に減っている。

(代表 田中より)

ぼくらにできることは何だろう?
社会が傷の再分配構造ならば、ぼくらはどのようにして、他人の傷を 自分のものとして引き受けることができるのか?同時に、どのように して自分の傷を他人へ再分配して楽になれるのか?まずは出会うこと によって、話を聞くこと、そして、話を聞いてもらうことから始める しかないだろう。
その前に、自分はどのように傷ついているか、を自 問する必要があるかもしれない。
つまり、自分の内側へ向くことから 始めるしかない。
ならば、グリッドフレームとしてできることは、ゆったりと自分の内 側に向きあうことができる空間をつくることではないか。
SOTOCHIKUはそれに貢献することができると確信している。
ぼくらが傷を引き受け、引き受けてもらうことができるようになった とき、この世は誰にとっても生まれてきてよかったと思える世界に確実に近づくのだと思う。

特定非営利活動法人
クリエイティブサポートレッツ

静岡県浜松市のNPO法人。介護や子育てを「家族でなんとかする」
という硬直化して引きこもった社会から、人に迷惑をかけてもいい、 柔らかく解放された社会へ変えていくことを目的とする。
そのために、家族でもない、職場でもない、サードプレイスをつくる 試みを進めている。
その方法として、障害のある様々な人々が日常的 に取り組む一見取るに足らないと思われること(「表現未満、」)にスポ ットを当て、アート活動を行う場に一般の人が訪れることを「観光」 と位置づけ、ゲストハウスで宿泊もできる施設をつくっている。

レッツ代表の久保田翠さんは、昨今の「引きこもり」と呼ばれる人々 が引き起こす殺傷事件について言及し、次のように語る。

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家族には愛がある。何とかしてやりたい、助けてあげたい。しかしそ の思いが逆に、「家族で何とか出来る」「何とかする」というループに 陥ってしまう。ますます社会から距離を置くことになってしまう。
こうした事件が起こると、子どもたちの送迎バスに見守りをつけると か、通学路を点検するとか。そんなことばかりが報道される。
あほじ ゃないか。何の解決になるというのだろう。監視を強めればますます 社会は硬直化していく。

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知的障碍者たちが住むシェアハウスと、一般の人たちのためのゲスト ハウスを併設させるという、風通しのいい暮らしの研究がすでに始ま っている。

(代表 田中より)

現代社会の解決の難しい問題に立ち向かう方法を念頭に、例えば、福
祉施設で宿泊体験をすることを「浜松最後の秘境を探検する」と表現 する発想がすばらしい。
学生時代にバックパッカーをしていたぼくは、 これを聞いてワクワクする。
秘境の旅には、事前に予測できない、か けがえのない出会いがある。
こんな出会いの中で、世間知らずの若造 だったぼくは現地の人に何の見返りもなく助けられ、また、自分にで きることがあれば現地の人のためになりたいと自ずと体が動いた。
そ して、その中で、多くのことを学ばせてもらって今のぼくがある。
介 護などで困っているのっぴきならない家族の事情を楽にする、お互い を助け合う社会のヒントは、知らない同士が出会って、また気ままに 次の場所へ出ていくことができる「旅」というカタチにあるのではな いか。そんなことを考えさせられている。

こえとことばとこころの部屋(ココルーム)

大阪市西成区釜ヶ崎のゲストハウスとカフェと庭のあるNPO法人。
日本の高度成長を支えた日雇い労働者のおじさんのまちは、今では 高齢化が進み仕事もなくホームレスになる人も多い。
この釜ヶ崎で 地域に根ざした活動「釜ヶ崎芸術大学」「まちかど保健室」「夜回り 活動」などを続けている。今日も、おじさんたちが入れ替わりたち かわりやってきて、旅人や居場所をなくした若者もやってきて、一 緒になにかを学んだり、つくったりしている。
ココルーム代表の詩人・上田假奈代さんは、ココルームでのアート 活動を次のように表現する。
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無名の存在、無名の人たちが無名の仲間とつくりあげた無名の何か。
名前もなく流れつづけてとりとめもないから生き生きとしている。
窪みに澱が溜まるので少し押し出そうとするが、澱が栄養になるこ ともわかってきたので少し残す。
岸辺の際の、陸の領分か水の領分か わからないような際のあたりのあいまいなところに名も知らぬ草が茂 り、葉を落とし、生き物たちが跳ねたり這ったりしている。
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2019年には、ココルームの庭に井戸を掘った。

高齢化するおじさん たちは何もしなければやがて存在を忘れ去られてゆく。
おじさんたち には土木仕事に関わった人が多く、井戸掘りの先生として生き生きと 地面を掘ったそうだ。
その記録がまとめられ、次の世代へ伝えられて いく。
(代表 田中より)
ブリコラージュ(その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品とし て何がつくれるか試行錯誤しながら、最終的に新しいものをつくること) によってつくられたゲストハウスやカフェの空間を見るにつけ、サード プレイスをつくるには、それが最適な手法のひとつなのだろうと納得す る。多様なエネルギーが一所に集まって、さまざまな人が自由な気持ち で過ごせる空間が実現している。
資本主義社会に翻弄されてきたこの町 の人たちの生を、この場所が輝かせているように思うと感動を禁じ得な い。SOTOCHIKUもブリコラージュの手法の一つであり、ココルームの 存在に励まされる思いだ。

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